冬美センパイのコト。

chapter 2.

今、冬美センパイが僕の部屋にいる。

ええっと、そう。昼間、口ずさんだマリオワールドの曲がきっかけだった。お得意先が僕の事をえらいほめていたと部長が言ったもんだから、僕はウキウキで仕事をしていた。

「ふん、ふんふん、パッパーラパ」

と、思わず口に出した時、冬美センパイが僕の席の後ろを通った。

「あれ?それ、何の曲だっけ、聞いた事ある」

「あ、え? ああ、スーパーマリオワールドですよ」

「ああ、スーパーマリオワールド。スーファミのでしょ?」

「ええ」

そこで、彼女はペシッと指をならし、その指で僕をさしながら、

「もしかして、持ってんの?」

「ええ。ついこの間買いまして…」

「ほー。ふーん」

と、言いながらその場は去っていった。

夕方、廊下で冬美センパイに呼び止められた。

「篠田クン、今日、残業は?」

「へ?」

「残業、何時まで?」

「うーん。今日はさっさと帰りますよ。8時前には」

「ふーん」

僕がちょっとキョトンとしていると、彼女は一度目線をそらして、

「その後って、予定、あるの?」

とつぶやくように言った。僕はドキッとした。だって、さぁ、シチュエーションが…

「いえ、別に。まっすぐ帰るつもりですけど」

冬美センパイはニコッと笑いながら、またペシッと指をならし、僕を指差した。

「今日、いっていい?」

ドキドキッ。

「え」

「私、一度やりたかったのよ」

ドキドキドキッ。

「え」

「スーパーマリオ」

「あ、あぁ」

思わず僕はため息のようなあいづちを打った。

それで、何となく、冬美センパイが僕の部屋に来てしまった。

部屋に入るなり、センパイときたら、

「マ・リ・オ、マ・リ・オ、ヨッシーちゃーん」

とのはしゃぎよう。さっそく僕はテレビとスーパーファミコンの電源を入れてセットした。

「やり方、わかります?」

「ファミコンのマリオはずいぶんやったけど、これ、ボタンいっぱいあるわねー」

「はい。説明書。と、あのー」

ネクタイをはずしたところで、ふと僕は気付いた。着替えなきゃ。

「あ。着替え? だいじょぶ。私こっちしか見てないから」

「はぁ」

冬美センパイはもうマリオを始めている。僕はいちおう彼女に背を向けて、シャツとズボンを脱ぎTシャツと短パンに着替えた。

「あっ。えっ。何これ。あっ。ダメってば!」

もうセンパイは熱中してる。

「ほら、そこでYボタン。そう、ジャンプ!」

と、僕もついつられる。いきなり1面クリアした彼女も、さすがに2面目でGAME OVERになった。

「うーん。やっぱ、面白い」

と深く納得した顔つきでうなずいて、おもむろに、

「あー、あつい」

と言った。彼女はシャツの一番上のボタンをはずした。

「ね。Tシャツ貸してくれない?」

「あ、いいですけど。うーん。こんなのでいいですか?」

「うん。ども。と、あのー」

僕はこっち向いてますから、と言おうかとも思ったが、

「ビール買って来ます。飲むでしょ?」

「うん。ありがとっ」

さて、近くの自販機で500mlの缶を8本買って抱えて帰ってくると、ユニットバスの中で冬美センパイがジャバジャバとやっている。

「ただいま」

と、言いながら、ああ、他人が待っている部屋に帰るってのはいいよな、なんて思っていたら、

「ねぇー、シ・ノ・くーん」

と声が聴こえて来た。あれ?冬美センパイ、シャワー浴びてんの?

「オフロ場、よごれてるから洗ってんのぉ」

だって。うーん。普通、他人の家におしかけて、いきなり風呂洗うかぁ?

こういうのって、いわゆる、おしかけ女房、と考えてドキッとした。

「いやー。暑い時は水仕事がいいわ」

と、バスルームのドアを開けて半ソデTシャツに短パン姿で冬美センパイがあらわれた。

「すっきりした」

「あ、ども、すみません。わざわざ、その」

「ううん。それより。わーい、ビール、ビールっ」

部屋の真ん中に出したテーブルにビールを置いて、本棚の下のカゴからピスタチオを取り出した。

「ぷわぁ!」

と、一口ビールを飲んでから、ファミコンのコントローラを取りあげ、

「よし。やるぞぉ」

と、冬美センパイはマリオに向かった。

「やっ。ダメよ。うん、それ」

センパイったら無邪気だよな。でも、

「あ、いや、いや、あ、あ」

なんてのは、やっぱ、今、夜中だし…。でも、僕も画面を見ていると、つい、

「それ。加速、ジャーンプ!」

なんて夢中になってしまった。

ドーナツ島をクリアした時、ふと時計を見たら2時をまわっていた。え?!2時?

「ああっ。冬美さん、時間!」

「えっ?あっ。2時10分?あちゃあ。ま、いっか」

「よくないですよ」

「いいじゃん、いいじゃん。明日は休日」

いや、そーゆーんじゃなくって…冬美センパイ。

「明日、何かあるの?」

「いえ、別に…」

「オッケー。じゃ、朝までマリオ!」

まあ、僕としてはそんなに悪い気はしないからいいけどね。

夜も遅いし、ビールは2.5リットル入ったしで、いつのまにか僕は眠ってしまった。はっと気付いたら、冬美センパイもコントローラを握ったままうつらうつらしていた。時計を見たら、5時半だった。

「冬美さん、もうすぐ地下鉄動きますけど」

「うーん。ちょっと寝てく」

けだるいその声に、僕はふと、ちゃめっけのつもりでこんな事を言ってしまった。

「そんなトコで眠ってると、犯しちゃいますよ」

言ってしまってから、ちょっとまずかったか、と思った。少し間があって、彼女は、

「だぁめ」

と言って、コントローラをおいて眠りに落ちていった。その言い方に、なんか挑発されたような気がして、眠たさと酔いも後押しして、僕は1分間だまった後で彼女の胸に手をのばした。左手が左胸にちょっとだけ触れた時、彼女はすかさず、

「だめだってば」

と言った。僕はびっくりした。だって、あまりにもはっきりしたしゃべりかただったから。もちろん、手はすっと引っ込めた。冬美センパイは目をつぶったままだった。眠っているのかいないのか、さっぱり分からなかった。

僕はもう、眠気が飛んでしまっていた。けれど、身動きができない。いくじが無いのか、理性があるのかと、だまって考えている間に、自分がなさけなく思えてきた。でも、ここにおしかけて来たのは冬美センパイなんだぜ。

そして、20分程、いや、10分かもしれない、でも、僕には長い時間の後、ようやく言葉をしぼりだすように、

「冬美センパイ、ベッドで寝て下さい」

と言った。はたして彼女は、

「うん」

とつぶやいて、立ち上がった。そしてベッドに腰かけてから、ゆっくりと横になった。

結局、冬美センパイはベッドで、僕は本棚によりかかって、10時過ぎまで眠った。彼女が起きた物音で僕も目を覚まし、僕がトイレに入っている間に彼女は着替えてた。そして、

「ゴメンねぇ。じゃ、帰るねー」

と元気に言って帰ってしまった。

chapter 4.へ。