柿の木に胡桃がなったよ
epilogue.
もう、自分の年もよく分からない。まだ四十にはなっていないだろうと思う。とりあえず、このお話は現在に辿り着いた。
僕はまだ独身で、喫茶店のマスターをやっている。ずっと、何も起こらず、何も求めない生活が続いている。最近の事件といえば、バターを変えたらお客さんの一人に文句を言われたこととか、文庫本よりマンガのほうが多くなったのに気がついたとか、その程度のことである。
建物はそれなりに古くなってきた。あるお客さんは「渋い感じが増してきたね」と評したが、それが褒め言葉なのかどうかよくわからない。ただ時が過ぎてこうなったのであって、どういう雰囲気のお店を作ろうと考えたことは一度も無い。
年が過ぎてゆくのはどうでもよいことであるが、季節がくり返しているということはよく分かっている。特に、秋が繰り返しやってくることははっきりと認識している。今年ももうすぐ柿の季節になる。また何日かお店を休みにして、のんびりと柿を箱につめよう。
微かにきしむ音がして、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」と顔をあげると、女性が一人、入ってきた。
女性は杖をついて、足を少し引きずるように歩いた。
店内を軽く見渡してから、窓が見える位置に座った。
コーヒーを注文したので、丁度落としたところのコーヒーを出した。
そしてカウンタに戻ろうとした時、「あの」と、女性は話しかけてきた。
「柿の木があるんですね」
まったく不思議なことであるが、僕はすかさず、
「胡桃がなる柿の木なんですよ」
と答えていた。
今までこのお話をお客さんにしたことなど一度もなかったのに、唐突にそう答えたのである。
そしてそう答えてから、僕は女性が誰であるのか分かっているのだと気がついて、驚いた。
はたして、彼女は
「私もよく憶えています」
と、答えた。
時計の針が進む音が聞こえてきた。これから何か忙しくなりそうな予感に、僕は心を踊らせている。
僕はよい人生を持っている。
.....FIN.