冬美センパイのコト。
chapter 1.
「冬美さん。冬美センパイ。菊水駅、着きましたよ」
ニコニコした顔で座っているから、起きてるんだと思ったら、冬美センパイったら、地下鉄の中で寝ちゃっていた。
「ん。うん。あ、降りる」
と、すくっと立ち上がったはいいが、停車のゆれでふらつき、また僕の隣に座っちゃった。
「あは。立てないかもしんない。降ろして、篠田クン」
「え?!」
プシュー。ドアが開いた。しかたないから、冬美センパイに肩を貸して、一緒に地下鉄を降りた。
電車を降りると、彼女はちゃんと歩いていた。
「あのね。シノ、シノくぅん。ボディガード」
冬美センパイは、どっちかっていうと、まぁ、かわいい。その彼女に腕をつかまれた。僕のアパートはあと4駅先だけど、ま、いっか。
「こっち。すぐそこだから」
センパイのアパートは駅から2〜3分の近くだった。
「よってくでしょ?お酒ある」
僕の腕をつかんだまま、センパイは元気よくそう言った。ええっと、断わっておくが、僕と冬美センパイは仲がいいが、そーゆー仲ではない。ない。なかった。けど。
「え?いいんすか?」
てな感じで、なんか、さりげなく、冬美センパイんちに上がりこむ事になった。まったく、なんとゆーか。
あ、そうそう。僕は篠田基一。会社員4年目。彼女は加藤冬美さん。同じ会社の2年先輩。僕が働いている部所では、僕が最年少。彼女がその次。その他の人たちは30歳以上。そんなわけで、彼女とは話が合った。
でも、僕がこの部所に来てから1年くらい経つが、こーゆーことは初めてだ。
6畳にちっちゃな流し場のワンルームマンション。
「あ、そこ」
「へ?」
「そこ、トイレ。入ってなさい、篠田クン」
「へ?」
「き・が・え・る・のっ」
なるほど。
「はやくっ。いいって言う前に出て来たら、包丁飛ぶよン」
てなことで、僕はバス・トイレ一体の個室に入った。さすが女性の部屋だな。キレイにしてる。僕とはおーちがい。水タンクの上には造花が飾ってあった。
「いーよ」
ちょっと、いや、だいぶドキッとした。冬美センパイはパジャマだった。
「ほれ、これ、着て」
と、スウェットのズボンとトレーナーを僕に渡しながら、今度は彼女がユニットバスルームに入った。ネクタイをはずし、シャツを脱ぎ、トレーナーを着た。あ、胸の所が、ちょっと大きくなってる、これ。
「どぞ」
冬美センパイは顔をふきながらバスルームから出てくると、僕のシャツと背広をハンガーに架けてくれた。たぶん、化粧をほとんどしていないのだと思う。顔を洗っても全然かわらない。
「あ、篠くん、そこのタナの上、とってくれる?」
「はい?」
「何だっけ、ワイルドターキーじゃなくって…」
「アーリータイムスですね?」
「そ。アーリータイムス。コップ、その下。そ」
レイゾーコから氷を取り出して来た。袋入りのロックアイス。半分くらい残っていた。
「あ、水割りがいいね?」
そう言いながら再びレイゾーコを開け、“大雪の清水”を取り出した。これは新品だった。
「あ、このアーリー、新しいんですね。封切っちゃいますよ」
「うん。切っちゃって、切っちゃって」
僕はペリリ、と封を切った。僕がウィスキーを注ぎ、冬美センパイが氷を入れた。
「氷、袋からだけど、いいね?ごあいきょう、ごあいきょう」
そう言って氷をコップからあふれるだけ入れると、レイゾーコにしまった。
「じゃ、カンパイ」
「ども、カンパイ」
僕がストゥールに腰かけ、彼女はベッドに腰かけた。ベッドの脇のカゴからたけのこの里ときのこの森を取り出し、テーブルに置いた。
「よかったね。篠田クン」
今日は、僕が企画した展示会の打ち上げだったのだ。すすきのでちょっと飲んだのであった。
「いえ、まぁ、ホッとしたってトコですね」
「しっかし、千鳥常務っていったっけ? ありゃ、やられたわねー。」
「まったく、ひっどいヤローですわー」
なんて具合に、会話がはずむ。愚痴でも何でも言い合えるので、話をしていて、楽だ。
会話がちょっと途切れた。ふとセンパイが時計を見て、
「を。ニュース見よ」
と言ってテレビをつけた。僕はちょっと酔いがまわって来た感じがしていた。それにしても、冬美センパイ、今日はどうしたんだろ。やっぱ、変だよね。男を夜更けに部屋に上げて…やっぱ、もしかして…
「あれっ?」
突然、冬美センパイがすっとんきょうな声をあげた。
「えっ?えっ?」
僕はうろたえてしまった。
「ねね、篠クン」
「は、はい?」
「もしかして、」
「え?」
「今日、木曜?」
「ええ。木曜。」
「あした、会社じゃん」
「ええ。会社。」
「どわぁ。勘違いしてた」
「え?金曜日だとでも?」
「うん」
まぁったく、冬美センパイときたら。センパイはちょっと考えてから、
「ゴメン。ねぇ、また今度飲み直す事にしない?」
と言った。え?そんな。と思いつつも、
「あ、はぁ。そうしますか」
「タクシー代ある?」
「いえ、電車まだあるし」
「そう。ゴメンね」
そう言いながらセンパイはハンガーのシャツとズボンを僕に手渡して、バスルームに入った。僕は彼女がドアを閉めるのを確認して、ちょっとだけ顔をしかめてから着替えた。
「どーぞー」
「へーい。ゴメンねぇ。本当にゴメンねぇ」
「いいですよ、別に」
僕はにこやかに言った。ネクタイをしようかどうかちょっと迷ったけど、きちんと結ぶ事にした。
部屋を出る時に冬美センパイは、
「あ、今日、うちで飲んだコト、ないしょよ。ね?」
と言って、もう一度、
「ゴメンね」
と言った。うーむ。んで、結局、今日はなんだったんだろうと思いつつも、楽しかったし、顔がにやけた感じになっているのを感じた。よくわからんけど、ま、いっか。また、ね。