冬美センパイのコト。
chapter 2.
冬美センパイ、今日の会議の間中、僕の事を見てたような気がする。確かに彼女から見て黒板のある方向に僕は座っていたわけだけれど、いや、ありゃ、きっと。いつもは活発に発言するのに、今日はほとんど喋らなかった。どういうことなんだろ。
会議が終わって机に戻ったら、冬美センパイが思いつめた表情で近寄って来た。
「篠田クン…」
「はい?」
「んーと、ね、これから、杉沢ビルに行ってくるだよねぇ」
杉沢ビルというのは、今いるところから歩いて5分くらいのところにある、本社の貿易部があるビルだ。僕は資料をとりに行く用事がある。
「はい」
「帰りがけに、薬局よって、セデス買って来てくれない?」
頭の中でガクッと音がしたような気がした。
「セデス、ですか」
「うん。頭痛薬の」
なるほど。今日センパイがボーっとしてるのは頭痛のせいだったんだ。
「いいですよ。どれくらいですか?」
「少ないやつでいい」
センパイは、僕と向いの席に誰もいないのを確かめて、小声で言った。
「今回の、めずらしく重くて。ストレスたまってんのかしらね」
「へ?」
「生理がねぇ。メンドーこのうえなし。男の人がうらやましいわ」
「はぁ」
「いつもは軽いんだけどね、私。今月は頭が痛くなっちゃった。めずらしいのよね」
「はぁ」
なんとも、どう返事をしてよいやら、困ってしまう話題だ。
「いくらだかわかんないから、たて替えといてくれる?」
「ええ。いーですよ」
「ゴメンね。じゃ、お願い。電話待ちしてるんで、外に出られないのよ」
と、ゆーわけで、僕はおつかいに出た。
「はい。セデ…」
おつかいから帰って、セデスとレシートを冬美センパイの机に置いた時、センパイは電話中だった。センパイは左手で、
《ありがと》
と挨拶して、お尻のポケットから財布を取り出した。財布を机の上に置き、指差して、
《ここからとって》
と合図。僕が財布を開いてみたら、万札がいっぱい。驚いた顔を見せたら、センパイはVサインした。僕が冗談で3万円ほど抜き取ろうとしたら、左手を大きく振って、顔をしかめ、
《f○○k you》
のサインをした。
以上、センパイは電話相手とスケジュールをつめ、右手でメモをとりながらやった。うーむ、器用だ。
仕事が「デキル」人って本当にいるんだなぁ、と、彼女に会ってはじめて思った。2つ以上のことを同時にできるという点に、特にそれを感じた。いろんなことによく気が付くし、いつも元気で前向きな行動だし。こんな人と一緒にいられるということに幸せを感じるよ。できることなら、仕事だけじゃなくって、ずっと一緒に…
あれ? 僕は何を考えているんだろ。
その日の夜。僕は時々晩飯代わりに会社近くのヤキ鳥屋でちょっと飲む。今日もヤキ鳥を食べながらビールを飲んでいた。はー、ビールがおいしい季節になったなぁ。と、そのとき…
「やっほー」
と、女性の声。まず、ヤキ鳥屋の店長が彼女に声をかけた。
「おや?オネイチャン、つれでもいんの?」
「ええ。あそこっ」
あれ?あの声…、と思って入り口の方を振り返ったら、冬美センパイだった。
「あれっ?」
「よっ」
「冬美センパイ」
「どもっ」
「ここ、よく来るんですか?」
「ううん。初めてだけど」
「どうしてまた?」
「なんとなく」
と、そこで店長が声をかけてきた。
「オネイチャン、何にする?ビール?」
「はい」
「ジョッキ、大?中?」
「大!」
冬美センパイの言葉には何の迷いもなかった。
「ニイチャン、いい彼女じゃん」
と店長に言われ、僕はドキリとしたが、冬美センパイときたら、
「へへっ。どうもっ」
と、僕の腕をつかんだ。
「冬美さん、頭痛いのは直ったんですか?」
実に元気よくおいしそうに大ジョッキをぐわっと傾けている冬美センパイを見ながら僕はたずねた。
「うん。セデスでね、一発。ありがとうね、篠クン」
「あ、いえ、でも、その」
「その?」
「単純な体ですねぇ」
「悪かったわね!」
そこに、店長がヤキ鳥の皿を持って来た。
「あいよっ、8本ね。ツクネいれといたよ」
「どもっ」
「ここのツクネはほんっっと、おいしいんですよ。冬美さん」
僕はさっそくツクネを取りながら冬美センパイにも勧めた。
「あら、おいしい。うん、おいしい」
彼女も気に入ったようだ。
「私ね、こーゆー店、初めてなのよ」
「え?」
ちょっと驚いた。だって、冬美センパイがこの店に入って来た時は、まるで躊躇が無かったものだから。前から思っていた事だけど、やっぱり彼女は度胸がある。まあ、こんな事で感心するのもヘンだけど。
「これからも連れて来てね」
「ええ。いつでも言って下さいよ」
なんとなく、ホコらしい気持ちになった。別にたいした事ではないのだけれど、冬美センパイにお願いされると、なんとゆーか、ちょっと大事なコトのような気がしてくる。なんでだろ。
「でも、冬美センパイ、どうしてここに? 僕がいるって知ってました?」
「うーん。半分知ってた。あのね、千田さんとか松野さんから、篠クンがここでよく飲むんだって聞いてたんだけどね」
千田さんも松野さんも、会社の先輩だ。彼らもたまーにここに来て飲むらしい。僕も2・3度一緒になった事がある。
「んでね、帰り道がてらに、時々のぞきこんでたの」
なるほど。今日たまたまってわけでもなさそうだ。もしかして、ずっと僕がここで飲んでいるタイミングを待っていたのかな?
「それって、いつ頃からのぞきこんでたんですか?」
「ひと月、あれ?ふた月くらいかしら?」
「どうして、また?」
と、さりげなくたずねたつもりだったけど、冬美センパイからどんな返事が返ってくるかなと、ちょっとドキドキした。
「うーん。誰でもよかったんだけどね、やっぱり、こういう店って、女の子一人じゃ入りづらいでしょ。ヤキ鳥屋って、来てみたかったの」
あーあ。誰でもよかった、ね。ふーん。へー。ほー。
「でも、冬美さんなら、この店で一人で飲んでても不思議ないけどなぁ」
「え?な・に・そ・れ?」
「あ、いやぁ」
「頭痛は直ったけど、機嫌の悪い日なんだからね、今日は」
とは言いながらも、にこやかにジョッキをぐわっと傾けている冬美センパイであった。