柿の木に胡桃がなったよ

chapter 2.

小学校を卒業する年に、隣のおじいさんが亡くなった。学校から帰ったら母がおらず、置き手紙に「病院に来い」とあったので行ってみると、母がおじいさんの看病をしていた。たぶん、あの時はもうおじいさんの意識は無かったのだと思う。夜になり、おじいさんの息子がやって来たが、くるみの家族ではなかった。翌日、母が買い物に出かけている間に電話があり、亡くなった知らせを受けたのは僕だった。

葬式にはくるみの両親は来ていたが、くるみは来なかった。大きな怪我をしていて来られないのだと父が言った。葬式の後、おばあさんもどこかへ引っ越してしまい、隣の家は空家になってしまった。三ヶ月くらいだったか、半年くらいだったかの後に家が取り壊され、さら地になった。

家を壊すのがあんなに素早く簡単にできてしまったという事と、何も無い土地になるととても狭く見えた事に驚いた。その時にはじめて知った事だったが、隣の敷地は父のものであった。父はそこに細いロープで線を引き、近所の肉屋のための駐車場にした。

その年の秋は、子供心にももの寂しさを感じた。その年は柿のなる年ではなかったが、いくつか実った柿が熟して駐車場に落ちた。葉っぱもたくさん落ちた。しかし、それを楽しそうに掃除する人はもういなかった。

その二年後、つまり中学二年の秋に、僕の家族は引っ越しをした。父の転勤であった。電車で一時間程離れた所で、いままでより少しばかり都会であった。例えば、全国規模のデパートがいくつかあった事に都会を感じた。

新しい家は借家であったが、元の家よりも部屋の数は多かった。しかし庭は無かった。父はベランダにたくさんの鉢植えを置いて、よく世話をした。

新しい中学では友人ができずに悩んだ。何をしても空回りの感じがして、どんどん消極的になってゆく自分に情けなさを感じた。中学二年の後半からでは部活動にも参加できなく、かといって勉強に打ち込むでもなく、ただ時間が過ぎ去る事に焦燥感を持っていた。

しばらくして、父が元の家を取り壊し全部駐車場にするのだと言った。生まれて育った家が、あの寂しい空地になるのかと思うと、胸の中になにか鉛色の物が拡がるのを感じたが、父には、「柿の木がもったいないね」とだけ感想を言った。父は「そうだな」と短く答えた。

いつのまに家を取り壊したのかは知らないが、高校二年の春に友人を訪ねて戻った時には、もう家は無く、アスファルトの地面になっていた。しかし、駐車場の真中あたりには柿の木がちゃんと残っていた。土地はやはり思ったよりも狭く、柿の木も小さく感じた。その年は実のなる年だったので、いったい誰がもぐのだろうと考えた。あの柿の実をもぐ人は、渋柿だという事を知っているのだろうか。渋柿だけれど、焼酎をつけておくととてもおいしくなるという事を知っているだろうか。それとも、誰ももがずに熟し切った真赤な柿がアスファルトの上に落ち、つぶれるのだろうか。

結局のところ、柿の実の行方を確かめる事もなく、時は過ぎていった。高校では友人がたくさんできたが、時が過ぎる事に対するやるせなさは止まらなかった。僕は過去を振り返る事を憶えた。そしてその振り返る過去というのは、胡桃のなったあの柿の木である事が多かった。

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