柿の木に胡桃がなったよ

chapter 4.

父母が事故で突然死んだのは、二十八の時だった。父はその直前に会社を辞めていた。古本屋を開くのだと言って、僕が生まれたあの土地に、再び家を建てていた。なぜ父が急に古本屋などを始めようと思ったのか、未だに分からないが、あそこに家が建つ事は僕にとってとても嬉しい事で、父には一も二も無く賛成した。もうすぐ完成するというので父母は見に行ったのだが、その途中、交通事故で車ごとペシャンコにされてしまった。

叔父の勧めもあって、僕は会社を辞め、父の建てた新しい家に住む事にした。そのまま古本屋をやろうかと思ってもみたが、仕入れなどのやり方も分からないのでやめることにした。しかし、父が仕入れた本が棚に2つ3つ分くらいはあった。

もっとも、大学も無い所だったので、価値のある古書などではなく、読み古した文庫やマンガばかりであった。同じ叔父の勧めで、僕は一人で喫茶店を開く事になった。

喫茶店での時間は、それはのんびりとしたものであった。午後には近くの主婦が、夕方には高校生が、雑誌やマンガを読みに来た。少しの雑談と、たくさんの何も喋らない時間。時間は漫然と過ぎて行ったが、もう焦燥感を持つ事はなかった。何も変化はいらなかったし、言ってしまえば、もう人生に何も求めようと思わなくなっていた。

近所の世話好きの主婦が見合い写真を持ってきた事があったが、笑いながらまだいいと答えた。女性に対する欲求を感じないわけではなかったが、かといって結婚は単に面倒な事としか考えられなかった。豊富な一人の時間が好きであった。

近所の人からただ同然で雑誌や文庫やマンガが集まり、お客さんもまあまあ集まった。たいした食べ物は作れなかったが、良いパンと良いバターにめぐり合えたので、トーストは評判であった。コーヒーも少しずつおいしくなっていった。昔はそれほどコーヒーを飲むほうではなかったのが、自分でいれるコーヒーを味わうのが楽しくなった。コーヒーを味わいながら本を読む毎日に、満足を感じるようになっていった。

あの柿の木は喫茶店の窓から見える所に残っていた。お客さんの中には、「柿の木の喫茶店」と呼ぶ人もいた。冬になると、窓から見る雪を積もらせた枝はなかなか絵になった。高校の写真部の学生がそれをうまく写真に撮って店に置いてくれた。その写真は県のコンクールでも賞をとったとかで、僕はとびきりおいしいコーヒーをいれてあげる事で感謝の意を示した。

喫茶店を開いて二年目の秋には、柿の木に実がたくさんなった。僕は店を三日間休みにして、一人でもいで、一人で焼酎をつけ、一人で箱に詰めた。僕にとってその三日間は子供の時以来の楽しい時間であった。本当に久しぶりに遊んだという気持ちがした。何週間か箱の中で寝かせた後、僕は柿を一つ取り出してかじった。それは昔通りのおいしい柿であった。一つを食べ終えた時、僕の目には涙があふれていた。涙を流しながら僕は二個目を食べた。涙の中には、父や母や、隣のおじいさんやおばあさんや、そしてくるみの懐かしい顔が浮かんで見えた。

epilogue.へ。